GREEN BELT10月号に掲載されました
業界誌GREEN BELT10月号に「私の道、経営者キャリアインタビュー」の取材が掲載されました。
代表城山が創立30年の歩みについてインタビューに答えさせていただきました。
パチンコホールに係わる「人の問題」を解決したいと㈱ゼロンを創業した城山光秀社長。
今年、創立30周年を迎え、現在はフレグランス事業も好調だ。これまでの会社の歩みを聞いた。
人の問題を解決できたら業界はもっと良くなる
城山社長が人の問題に関心を寄せるようになったのは30年以上前、大阪のパチンコチェーン企業に勤めていた時だった。もともとは経理畑の人間だったが、税理士事務所に勤めていたところに縁があり、府内に十数店舗を展開するホール企業に就職。管理本部の業務を行うなかで、人の採用などにも携わるようになった。
「バブルの頃だったこともありますが、多額の費用をかけて新聞に求人広告を出しても人が集まらない。応募があっても、紙袋一つに所帯道具を全部入れたような人や黒ずんだ履歴書に本名か分からない名前を書いてくる人など、こちらが求める人材とは程遠い人ばかりでした。言い方は悪いかもしれませんが、そうした人しか集まらない業界だったんですね」。
欲しい人材が採用できないもどかしさと難しさ。業界が長年にわたって抱える問題に触れた瞬間だった。同時に、人の問題を解決すれば、ホールと業界はもっと良くなるとも痛感した。 その大阪のホール企業を6年半勤めた後、地元の神戸に戻って経理の仕事をする予定だったが、「一度くらい、自分の思ったことをやってみたい」と起業マインドに火が付いた。
「その時に頭に浮かんだのが、パチンコ業界の人の問題を解決する仕事。それをやってみたいと思ったんです」。 1993年、36歳の時だった。
ゼロから出発して最後の「ん」までやり遂げる
一念発起してホール向けの人材支援の事業を始めたものの、初めは無い無い尽くし。事務所も神戸の友人の会社にお願いして、会議室の一角に電話とワープロを置かせてもらうところからスタートした。考えた社名は、「ゼロからの出発だし、頑張って挫けずにやってみよう、最後の『ん』までやり切ろうと、そんな想いを込めて『ゼロン』にしました」。 成長の転機となったのが創業から1年後。パチンコ業界に初めて参入する企業から、働く従業員を任せたいとの依頼があった時だ。当然、同業他社とプレゼンをすることになったが、みごとに受注。決め手となったのが、「チームとしてスタッフを一括して請け負う」という提案だった。500台規模の店舗だったが、店長、マネジャー、主任の3名以外のスタッフを全て請け負ったところ大成功。管理のしやすさ、人員ロスの解消などがホール間で評判となり、一括請負の受注が飛躍的に増えていった。
事業が軌道に乗りはじめ、社員も増やし、事務所を新たに借りて喜んでいた矢先、大きな試練となったのが1995年1月の阪神・淡路大震災だ。神戸に事務所のある同社だけでなく、取引先の多くが被災した。日々の生活もままならない中、一括請負の取引をしていた2店舗が直接的な被災をまぬがれたおかげで、どうにか事業を継続することができた。
フレグランスにも参入30年の経験値を業界へ
震災の復興後も一括請負の人材サービスは好調で、神戸市以外にもエリアを拡げ、1998年に大阪に進出。2000年3月には東京事務所を開設し、その後、全国主要都市に展開していく。 その一方で、ホール内のニオイを解消するアイテムとしてフレグランスに着目。当時のホールは喫煙が当たり前で、ホールに派遣する女性スタッフからもたばこのニオイを気にする声が多かった。2011年にアメリカ「scentair」社とライセンスを結び、フレグランス事業に参入し、約1000店舗のホールに導入されるまでに至った。
ホールでのフレグランスのノウハウは現在、他の商業施設などにも活用されている。例えば、キャラメルポップコーンの映像を映し出すサイネージにフレグランス装置を付け、そこからキャラメルの甘い匂いを流し、視覚と嗅覚による効果的な演出なども提案する。
同社は今年7月に創立30周年を迎え、7月22日、コロナ禍で開けなかった社員総会とあわせて、30周年祝賀会を開いた。その時に社員に語ったのが、1日1日の積み重ねの大切さだ。
城山社長が創業時から手伝ってきた業界の人材難の問題は今も続く。少子化もあり、状況はむしろ厳しさを増している。
「30年の経験値を活かし、これからもホールの人材確保や安心して働ける環境づくりをサポートしていきたいですね」。