先代を反面教師として頑張る3代目社長
現在ホール経営者としては3代目になる。会社を興したのは祖父で昭和32年にパチンコ店を開業したことが始まりである。
子供のころから実家の仕事が嫌いだった。小学校に上がった時ランドセル姿を見た客が「それは俺のおカネで買ってやったんだぞ」といわれた。父親が不良客を追い出すためにシャツを真っ赤に染め、血だらけで帰った。2階の部屋に上がる時に通る玉場の耳をつんざく金属音。これらがすべて嫌な思い出として、トラウマとなった。
長男だが、大学を卒業しても実家に戻る気はさらさらなく自分で就職先を探し、不動産会社やIT会社で働いた。
28歳の時に転機が訪れる。経営が破たんしたゴルフ場を民事再生で支援することになったので、帰って来いと電話が入った。嫌いなパチンコではなかったので実家に帰った。
ゴルフ場では営業部長の名刺を持たされたが決算書の読み方も知らなかった。ゴルフ場経営をきっかけにホールのことにも触れることになる。
東京ではシステムエンジニアも経験をしたが、ホールの経理はパソコンが1台あるがネットにもつながっておらず、ワープロ機能しか使っていなかった。伝票はすべて手書き。役職者も含め社員は社長に怒られないように社長の顔色ばかりを窺って仕事していた。社長の機嫌が悪ければボーナスも出ないような会社だった。それが14年前のことだった。
7年前、先代社長(父親)が病死したことで社長に就任する。決めごとが鶴の一声で変わる会社だったが、3代目になってそれも改められた。
現在ホールは2店舗と老舗の割には少ない。祖父の時代からボーリング場、バッティングセンター、ゲームセンター、ラーメン店など多角化に熱心な会社だった。
祖父のDNAを受け継いでいる3代目も経営の多角化には熱心で、社長に就任後はコインランドリー、シミュレーションゴルフ、太陽光発電、ラーメン店、レンタル倉庫などの新規事業を幅広く手掛けている。
大卒採用は7年前に社長に就任した時から開始した。パチンコ色が薄いこともあってか、パチンコ専業よりも新卒採用は有利に進んでいる。
1次面接は筆記試験だが、2次面接がいきなり社長面接となる。普通の会社は最後が役員面接だが逆である。
「まず、私が嫌いならウチに入るのは止めた方がいいですよ、といいます。でも、この人と一緒に働いたら面白いと思わせる。会社の魅力や私がこれからやりたいこと、目標を学生にぶつけます。この時に私の方で〇△×判定をして×以外の人をそれぞれの担当者に面接させます。だから、後から何でこんな人を採ったのか、と私の方から言い訳もできなくなりました」
先代を反面教師にすることで家業から企業へ移行しようとしていることが分かる。
「どんな業種を通じても自己成長ができること、世の中に貢献することを目的としています。社長一人のマンパワーでは事業の多角化もできません。10の新規事業があれば10人の社長を作ることが私の仕事です」とキッパリ。
まだまだパチンコ業界に有望な社長は存在する。