歌舞伎町から見えてくるパチンコの近未来
エスパス日拓の本業は不動産業だ。日拓本社の金庫にはトラロープと杭が仕舞われているともいわれている。理由は関東大震災が起こって、ビルが倒壊、街並みが一変した時、いち早く自社物件があった場所に、トラロープを張り巡らすためだ。
不動産開発をする過程で、不動産の利回りを考えた場合、一番効率が良かったことから、ホール経営に乗り出したのが1976年(昭和51年)だった。フィーバー機が登場する前にパチンコ業界に参入しているように、フィーバーブーム組ではないことが分かる。
エスパス日拓が不動産業から派生していることを物語るのが、出店の仕方だ。渋谷、新宿、新大久保、高田馬場、池袋、上野、秋葉原、と山の手沿線を中心に、赤坂、溝の口、と東京でも一等地で、不動産価値の高いところばかりに出店しているのが特徴である。地方へ出店しないのは不動産価値の観点からとも思われる。
「パチンコは副業だった。取得した不動産を活かすためのツールがパチンコ店だった。パチンコで儲ける必要はなかった」(日拓OB)
エスパス日拓の強味は自社物件で、家賃の支払いが不要なことに加え、無借金経営である、ということ。加えて、パチンコには執着していない、ということ。
新宿・歌舞伎町ではエスパス日拓VSマルハンのし烈な戦いが繰り広げられている。元々歌舞伎町はエスパス日拓の牙城だった場所へ、マルハンがオリエンタルパサージュの店舗を買収して歌舞伎町へ出店。そして、旧コマ劇場跡にオープンした新宿東宝ビルの2階に1000台クラスの新店をグランドオープンさせたのがGW前だった。
このマルハン新宿東宝ビル店のオープンに際しては、ライバルである日拓エスパスの西村拓郎社長が胡蝶蘭を贈った。
GWが明けマルハンが平常営業に戻ると同時にパチンコの稼働が一気に下がった。プロ集団が去ったことが主な原因だが、マルハンは3000万円とも4000万円ともいわれている家賃を払わなければいけない。そのためには利益を出す必要があるために、どうしても釘は閉めなければいけない。閉めればお客はエスパス日拓へ流れる。エスパス日拓は家賃を支払う必要がないので、必要以上の粗利もいらない。
マルハン新宿東宝ビル店は立て直しを図るために、5月22日は夕方5時からのグランドリニューアルを実施した。高い家賃をペイするのとマルハン歌舞伎町店との差別化を図るために、4円と20円だけで営業しているが、マルハンといえども4円で704台を満台にするのは厳しい。それが証拠にそれまでは500円で116個の貸し玉だったものが、5月12日から125個に変更して内税方式に戻している。
大阪のマルハン新世界店が昨年末のグランドオープン以来、高稼働を誇っている理由は、歌舞伎町のように強敵がいないため、ともいわれている。
4円の売り上げが未来永劫続く、という仮定がなければ、家賃の高い場所には出店できないが、ここからがマルハンが底力を見せつける時だ。パチンコ専業のマルハンが不動産を本業とするエスパス日拓に負けるわけにはいかない。
4円を復権する意味でもマルハンの手腕が注目される。