身の上話のできる従業員がいるホールは強い
日本人の奥さんと結婚して帰化した中国人従業員Aさんの話だ。中国では共産党の幹部だった。
来日した時は中華料理店で働いていたが、その店の紹介で、ホールで働くことになった。40歳だった。
日本語は話せるが、最初は掃除夫として雇っていた。中国残留孤児の帰国が始まった頃の話で、お客さんの中に満州から引き揚げてきた人がいたので、仲良しになった。
当時は日中関係が今のように冷え込んではおらず、日本人の孤児を中国人が育ててくれたことで感謝している時代でもあった。
真面目な働きぶりから、ホール周りをするようになった。
親しみやすく、身の上話でも、何でも話せる人柄からたちまち人気者になる。それが認められて正社員として採用してもらえることになった。
当時は業務上以外の私語は禁止する店が多かった時代。お客さんと親しくなると「出る台を教える」と従業員が信頼されていなかった。ところが、人気者なので話しかけてくるお客さんが多かった。
見かねた店長はオーナーに報告した。
すると、オーナーの答えは「好きなだけ話させてやれ」と寛大だった。
Aさんと話したいから店にやってくるお客さんもいるほどで、Aさん目当ての固定客が増えて行った。家で使わなくなった家財道具をくれるお客さんもいた。
60歳を迎えようとした時、Aさんは急死する。奥さんは以前に亡くなられ、子供はいなかった。
常連客の一人が中国旅行をすることになった時に、Aさんから聞いていた中国の住所を尋ね、Aさんが亡くなったことを報告に行った。それほど、Aさんはお客さんに愛されていた。
昔話ではあるが、最近のお年寄り客は、人と話したいからパチンコ店に来ているケースも少なくない。Aさんのように身の上話まで相談できる従業員は貴重な存在だ。
最近は接客は不要という極端な意見もある。そういう人がパチンコに求めているのは勝ち負けだけだが、行き場のないお年寄りはホールに会話を求めてやってきている。
会話ができる従業員がいるということは、それが固定客につながっていることはいうまでもないことだ。