100年企業目指すホール企業
100年企業目指すホール企業「今の社員は大胆さが足りない。データ重視で大胆にできない」と自戒の念をこめて語るのはあるホールオーナー。業界に参入したのは2000年、34歳の時だった。実家のホールが倒産の危機に瀕し競売にかけられる寸前のところだった。ホール経営はずぶの素人だったが、生保業界では年収1億円を稼ぎ出すトップセールだった。
カネやノウハウはなかったが、持ち前のバイタリティーでホールの再建に挑んだ。
「常連のお客様に何か一つでもいいから褒められることを徹底的にやった。お客様のためにバカなことも無心でやった。お客様の幸せは必ず跳ね返ってくる。だから徹底的にやった」
女性スタッフのユニフォームは、パンチラのエロかわいさを売りにした。これが口コミで瞬く間に話題になった。もちろん、見せパンだが、ホール専用の高いユニフォームを買うおカネがないための苦肉の策だった。この流れで、ホールでイベントコンパニオンを使い始めたのも先駆者で、やがてはその会社まで作って、他ホールへ派遣するようになった。
RCCの管理下に置かれていたが、4年で借金を返済すると、そこから快進撃が始まる。居抜き物件を中心に12年間で17店舗を構えるまでになった。
世襲が当たり前のパチンコ業界にあって「100年企業を目指しているので、絶対に身内には世襲させない。一歩引いたら周りが良く見える」と40代半ばで社長を退き、2000年当時は班長で、そこから常務に這い上がって来た人材を社長に抜擢した。
すべてが順風満帆ではない。店舗数が増えれば中には不振店も出てくる。ある店舗をスロ専に転換した方がいい、と考えたが現場の答えはデータを重視して、スロットコーナーを1ボックス増やす、という結論だった。
「1ボックス増やしたところで、迫力はない。強い店が儲かるには20円スロットしかない。思いっ切りスロ専にしたらいいのに、無難さを求めている。撤退を恐れてはいけない。それでダメなら店を閉めて、利益の上がるところへ進出したらいい」
居抜き物件情報は金融機関からもたらされることが多い。税金をきっちり納めていることで金融機関の見方が変わったからだ。
「会社は生き物。血の通わない店舗は存続しない。やるときは大胆に、そして創造的破壊は恐れてはいけない」
このDNAを受け継ぐことが100年企業へとつながっていくのだろう。